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三浦豪太の父・祖父・兄がすごい!嫁を含めた家族のプロフィールを紹介!

スキー競技のモーグルで、日本代表として、オリンピックに出場し、

引退後は、スキー解説者として活躍している『三浦豪太(みうらごうた)』さんの

家族がすごいと、話題になっています。

 

豪太さんの父、『三浦雄一郎(みうらゆういちろう)』さんは、

エベレストを80歳で登頂しましたし、

祖父の『三浦敬三(みうらけいぞう)』さんは、

ヨーロッパ最高峰の『モンブラン』を99歳のときに、スキーで滑降するという、

快挙を成し遂げています。

 

そんな、『三浦豪太』さんの家族について、気になる方もいるはずです。

 

このページでは、『三浦豪太』さんのプロフィールや、

三浦豪太』さんの父と祖父はもちろんのこと、

豪太さんのお嫁さん、お兄さん、お姉さんなど、

三浦ファミリープロフィール経歴について、お伝えします。




三浦豪太(みうらごうた)さんの家族のプロフィールを紹介

冒頭でお伝えしたとおり、

三浦豪太』さんの父親は、『三浦雄一郎』さんで、祖父は『三浦敬三』さんです。

三浦豪太』さんを中心とした、家族一覧主な経歴、次のとおりです。

続柄 名前 主な経歴
本人 三浦豪太(みうらごうた) スキーモーグル日本代表
三浦雄一郎(みうらゆういちろう) プロスキーヤー・冒険家
祖父 三浦敬三(みうらけいぞう) 山岳カメラマン
三浦雄大(みうらゆうた) アルペンスキー選手
三浦恵美里(みうらみえり) ミウラ・ドルフィンズ社長
三浦加恵(みうらかえ) 一般女性

 

それでは、『三浦豪太』さんのご家族を1人ずつ紹介していきます。

三浦豪太(みうらごうた)さんのプロフィールや経歴は?

名前 三浦豪太(みうらごうた)
愛称 ゴンちゃん
生年月日 1969年8月10日
年齢 50歳(2020年5月現在)
出身地 神奈川県鎌倉市
職業 プロスキーヤー・登山家・医学博士
身長 166cm

三浦豪太』さんは、神奈川県鎌倉市で生まれの、

プロスキーヤーおよび、登山家で、医学博士でもあります。

三浦豪太(みうらごうた)さんの経歴は?

偉大な父『三浦雄一郎』氏に連れられて、

アフリカ、キリマンジャロを11歳(当時最年少)で、登頂します。

その他、ロシアのエルブルース、スイスのモンテローザの遠征に同行するなど、

凄まじい少年時代を経験します。

 

フリースタイルスキーのモーグル競技では、日本代表選手として活躍しました。

1998年の長野オリンピックで13位、

ワールドカップでも、活躍するなど、好成績を残し、

日本モーグル界を牽引する存在として活躍しました。

 

2003年には、父・『三浦雄一郎』氏とともに『エベレスト山』を登頂、

初の日本人親子同時登頂記録を達成しました。

 

2008年5月に2回目の親子登頂を目指しますが、

山頂8400mへ向けての半ばに、高山病である『高地脳浮腫』の症状が見られたため、

雄一郎』氏の判断で下山します。

 

2013年に、親子登頂を再び成功させると、

2019年1月に、南米最高峰の『アコンカグア』登頂を成し遂げました。




三浦豪太(みうらごうた)さんの父は三浦雄一郎・プロフィールは?

名前 三浦雄一郎(みうらゆういちろう)
生年月日 1932年10月12日
年齢 87歳(2020年5月現在)
出身地 青森県青森市
職業 プロスキーヤー・登山家
所属 ミウラ・ドルフィンズ

三浦雄一郎』さんは、青森出身の

プロスキーヤーおよび登山家で、獣医師でもあります。

三浦雄一郎(みうらゆういちろう)さんの経歴は?

三浦雄一郎』さんは、幼少期は病弱で、劣等生だったと、

自身の著書に書いています。

 

幼稚園は中退し、小学校4〜5年生のときはは結核で、

肋膜炎を患い、長期入院をしたと言います。

 

そんな雄一郎さんが、初めてスキーと出会ったのが、

小学校2年生のときの、弘前市の弘前城公園でした。

この公園の坂をスキーで滑ったのがきっかけで、スキーに興味を持ち始めます。

 

その後一家で、仙台市郊外の農場に引っ越すと、そこで、本格的にスキーを始めます。

旧制の青森中学校在学時に、岩木山で開かれたスキー大会に参加すると、

優勝をして、初タイトルを獲得しました。

 

1960年代になると、プロスキーヤーとして、活躍します。

1964年、『イタリア・キロメーターランセ』に、日本人として初めて参加すると、

時速172.084キロ』で、当時の世界新記録を樹立します。

 

1966年は、富士山直滑降、

1970年には、『エベレスト・サウスコル』8,000mの世界最高地点からの

スキー滑降を成し遂げると、ギネス認定を受けます。

その滑降を記録した映画、『THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST』 は、

アカデミー賞を受賞しました。

 

1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全制覇します。

2003年、次男の『三浦豪太』とともに、エベレストを登頂して、

当時の『世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)』を樹立しました。

 

2008年、75歳で、2度目の登頂、

2013年、80歳で、3度目の登頂を果たすと、

エベレスト登頂世界最高年齢登頂記録を更新しました。




三浦豪太(みうらごうた)さんの祖父は三浦敬三

名前 三浦敬三(みうらけいぞう)
生年月日 1904年2月15日
2006年1月5日、多臓器不全のため、101歳で死去した
出身地 青森県青森市
職業 プロスキーヤー

三浦敬三』さんは、青森市出身のプロスキーヤーです。

三浦敬三(みうらけいぞう)さんの経歴は?

三浦敬三』さんは、

青森県立第三中学校(現 青森県立青森高等学校)、を卒業すると、

北海道帝国大学(北海道大学)へ進学して、農学部を卒業します。

 

北海道大在学中の1年生のときに、初めて八甲田山での山スキーを体験すると、

魅力に取り付かれました。

卒業後は、青森営林局に勤務しながら、

八甲田のフィルム記録にスキー滑降で参加します。

 

その後、

60歳になってから、海外遠征を始めるなど、スキーへの挑戦は止まりません。

70歳のときに『ヒマラヤ』、77歳で、『キリマンジャロ』を滑降しました。

 

さらに、88歳のときには、アルプス・オートルートの完全縦走を果たすと、

2004年2月には、99歳でモンブラン山系の『ヴァレブランシュ氷河』からの、

スキー滑降を成し遂げます。

同年9月には、スポーツ振興への貢献により、『内閣総理大臣表彰』を受けました。

 

このように、年齢を重ねてからも、ますますスキーへのチャレンジをしていきます。

 

さらには、

100歳では、アメリカのスノーバードで、

親子孫、曾孫の4世代での滑降を行い、話題を呼びました。

 

100歳にして現役のプロスキーヤーとして活躍するも、

2006年1月5日、多臓器不全のため、101歳で亡くなりました。




三浦豪太(みうらごうた)さんの兄は三浦雄大

名前 三浦雄大(みうらゆうた)
生年月日 ??
職業 KDDI勤務

三浦雄大(みうらゆうた)』さんは、

小学校4年生のときに、父親の雄一郎さんに連れられて、

カラパタール』(標高5545mの山)の反対側にある、

シャングリ氷河』を訪れるなど、

アウトドアやキャンプなども含めたさまざまな文化に触れてきました。

 

その後、

アルペンスキー選手(ナショナルチームにも選出)を経験して、

父、『三浦雄一郎』さんがスキー滑降するための、

ベースキャンプ・サポートメンバーとして通信を担当しています。

 

インタビューで、「三浦隊における雄大さんの役割を教えてください。」

との、問いに、

皆に癒やしを与えています(爆)。

と、答えており、

面白い方だと思いました。

 

情報収集が一番メインの役割ということで、

エベレスト登山に必要な、気象情報をまとめて、登山リーダーに報告しているそうです。




三浦豪太(みうらごうた)さんの姉は三浦恵美里

名前 三浦恵美里(みうらえみり)
年齢 59歳(2020年1月現在)
職業 ミウラ・ドルフィンズ社長

三浦恵美里』さんは、

父『三浦雄一郎』さん所属の『ミウラ・ドルフィンズ』社長を務めて、

三浦ファミリーの登頂を陰で支えています。

 

その他の活動としては、スポーツコーディネーター、

クラーク記念国際高校横浜青葉キャンパス』の校長を務めるなどしています。

三浦豪太(みうらごうた)さんの嫁(妻)は三浦加恵

三浦豪太』さんの奥さんは、『三浦加恵』さんです。

一般のお方なので、写真はありませんでした。

 

三浦加恵』さんは、47歳(2020年5月現在)で、

三浦豪太』さんとの間に子供を2人授かっています。

子供の名前は、『雄豪』君と『』ちゃんになります。

 

2008年に、長男の『雄豪』くんが生まれ、

2013年4月27日に長女の『』ちゃんが生まれています。




さいごに

このページでは、『三浦豪太』さんのプロフィールや、

三浦豪太』さんの父と祖父はもちろんのこと、

豪太さんのお嫁さん、お兄さん、お姉さんなど、

三浦ファミリープロフィール経歴について、お伝えしました。

 

三浦家の父『三浦雄一郎』さんと、『三浦豪太』さんの活動を、

家族みんなで支えながら、

登山家としての活動をし続けている姿は感動しますね。

 

さいごまで、お読みいただきありがとうございました。