『第101回全国高校野球選手権』の
出場校は、2019年7月30日(火)に出揃いました。
夏の甲子園ファンの方には、
出場校のメンバーが、気になる人もいるはずです。
このページでは、『東東京代表』の高校野球部、
『関東第一』のメンバーや出身中学について、
お伝えします。
関東第一(かんとうだいいち)のメンバー
夏の甲子園には、『3年ぶり8回目』の出場となる、
『関東第一高校』のメンバーは、以下の18人になります。
3年ぶりということで、
夏の甲子園に出場した選手はおりません。
背番 | 選手名 | 守備 | 学年 | 出身中学 | 所属チーム | 投/打 |
1 | 土屋大和 | 投手 | 3年 | 東京江戸川上一色中 | 中学軟式野球部 | 右/右 |
2 | 野口洋介 | 捕手 | 3年 | 栃木宇都宮横川中 | 栃木下野リトルシニア | 右/右 |
3 | 平泉遼馬 | 内野手 | 3年 | 東京大田雪谷中 | 世田谷西リトルシニア | 右/右 |
4 | 村岡拓海 | 内野手 | 3年 | 東京大田出雲中 | 大田水門ボーイズ | 右/左 |
5 | 金森優 | 内野手 | 3年 | 東京江東深川第三中 | 新宿リトルシニア | 右/右 |
6 | 渋谷嘉人 | 内野手 | 3年 | 東京品川荏原第一中 | 東京城南ボーイズ | 右/右 |
7 | 平川嶺 | 外野手 | 3年 | 東京江戸川葛西中 | 江戸川中央リトルシニア | 左/左 |
8 | 大久保翔太 | 外野手 | 3年 | 茨城龍ケ崎中根台中 | 取手リトルシニア | 右/左 |
9 | 重政拓夢 | 外野手 | 2年 | 東京品川伊藤学園 | 世田谷西リトルシニア | 右/右 |
10 | 谷幸之助 | 投手 | 3年 | 東京八王子上柚木中 | 八王子リトルシニア | 右/右 |
11 | 市川祐 | 投手 | 1年 | 東京新宿四谷中 | 新宿リトルシニア | 右/右 |
12 | 谷口龍汰 | 捕手 | 3年 | 茨城つくばみらい伊奈東中 | 取手リトルシニア | 右/右 |
13 | 長嶋峻佑 | 内野手 | 3年 | 千葉君津君津中 | 君津リトルシニア | 右/右 |
14 | 根崎仁人 | 外野手 | 3年 | 東京江戸川上一色中 | 中学軟式野球部 | 右/左 |
15 | 初谷健心 | 内野手 | 1年 | 東京八王子ひよどり山中 | 八王子リトルシニア | 右/右 |
16 | 藤原雄斗 | 内野手 | 3年 | 神奈川川崎平中 | 横浜青葉ボーイズ | 右/両 |
17 | 藤松丈一郎 | 外野手 | 3年 | 東京江東深川第二中 | 新宿リトルシニア | 左/左 |
18 | 吉安飛祐豪 | 外野手 | 3年 | 千葉千葉おゆみ野南中 | 千葉市リトルシニア | 右/左 |
監督プロフィール
名前 | 米澤 貴光(よねざわ たかみつ) |
生年月日 | 1975年8月17日 |
年齢 | 43歳 |
出身地 | 東京都江戸川区 |
出身高校 | 関東第一 |
出身大学 | 中央大学 |
『米澤貴光』監督は、高校時代に関東第一で、
レギュラーだったものの、
1991年からの3年間で、甲子園出場は果たせませんでした。
高校を卒業すると、中央大学へ進学します。
大学卒業後は、『シダックス』で社会人野球の道へ進みます。
『シダックス』では、1998~1999年の2年間在籍して、
1999年に、日本選手権で優勝をしました。
野手としてプレーをしていましたが、肩を痛めて選手生活を終えました。
その後、2001年の秋、『米澤貴光』監督は、25歳の若さで、
『関東第一』の監督に就任します。
監督になりたてのころは、選手に猛練習をさせていましたが、
1度も甲子園に出場できませんでした。
そこで、監督は、指導方法の方向転換をします。
これが功を奏し、その後は、10年間で、
春の選抜、夏の選手権合わせて、
9回も甲子園に出場をすることになりました。
選手に気づきを与える指導方法
米澤監督の指導方法は、
選手の自主性を重んじるやり方です。
選手が、自ら考えて、自ら進んでやろうと思えるような
気づきを与えます。
例えば、手を抜いた選手に対して、
米澤監督は決して、怒鳴り散らしたりはしません。
手を抜いた選手に対しては、手を抜いたらどうなるのか、
手を抜かなかったら、どうなったのかを、しっかりと伝えます。
練習にしてもそうです。
この練習に、どのような意味があるのか?
なぜ、このような練習をするのかを、しっかりと伝えます。
そうすることにより、選手は自ら率先して、
練習を全力で取り組むようになるわけです。
米澤監督は、次のように語っています。
「指導者の役割は、どうすればチームが勝てるのかを、選手自身が考えらえるようになること」
このような、考えで、甲子園出場という実績を出してきた監督です。
すばらしいですね。
注目選手
注目選手に、次の4人を挙げます。
- 『谷幸之助』選手
- 『市川祐』選手
- 『渋谷嘉人』選手
- 『土屋大和』選手
4人の選手を、見ていきましょう。
谷 幸之助選手
『谷幸之助』選手は、
最速146㎞/hの速球を武器に、
縦横と曲がるスライダーを組み合わせた、投球をします。
この夏は、東東京大会の決勝で、完封をするなど、
一度も相手打線に、得点を許しておりません。
夏の甲子園でも、期待の大きい投手です
市川 祐選手
『市川祐』選手は、中学生のころから、
身長が180cmを超えるなど、体格に恵まれた投手です。
球速は、130㎞/h前後と、まずまずですが、
体幹を鍛えることで、コントロールと速度が上がっていると、
本人は言います。
まだまだ、1年生で、これから伸びていく選手でしょう。
この夏の東東京大会では、
1年生ながら、ベンチ入りメンバーになっていて、
今後の期待が大きい投手です。
渋谷 嘉人選手
『渋谷嘉人』選手は、ショートを守り、
キャプテンを務めている選手です。
この夏の東東京大会決勝戦では、
3安打3打点の大活躍で、チームの優勝に貢献しました。
昨年の秋の、まだチーム内で、キャプテンが決まっていないころ、
関東第一では、週替わりでキャプテンを変えていました。
そんななか、
『渋谷選手』が、キャプテンをした時だけ、
練習試合に負けなかったそうです。
そこで、この強運と、人柄の良さから、
正式にキャプテンに就任しました。
運と実力を兼ね備えた選手のようです。
土屋 大和選手
『土屋大和』選手は、関東第一のエースピッチャーです。
ストレートは、『120km/h後半~130km/h前半』と、
それほど、速くはありません。
しかし、
『スライダー』『カーブ』『チェンジアップ』を駆使して、
抜群のコントロールで、外へ中へと、投げ分けます。
ボールの切れも良く、勝負勘のあるピッチャーです。
関東第一高等学校の概要
関東第一 | 関東第一高等学校 |
創立者 | 守屋荒美雄、村上周三郎 |
創立年 | 1925年 |
野球部の創部 | 1927年 |
住所 | 〒132-0031 東京都江戸川区松島二丁目10番11号 |
電話番号 | 03-3653-1541 |
関東第一高等学校は、1925年創立の学校で、
校訓は、『貫行』になります。
教育理念は、次のように掲げています。
●教育理念
英知・聡明・平和を尊び社会に敏感に反応し、国際社会で活躍し生涯学び続ける生徒の育成
野球部の創部は1927年で、
2019年夏の甲子園である、第101回全国高校野球選手権への出場は、
『3年ぶり8回目』の出場となります。
さいごに
このページでは、
東東京代表の高校野球部、
『関東第一』のメンバーや出身中学について、
お伝えしました。
他の夏の甲子園2019出場校は、
以下のページで、確認できます。
合わせてご覧ください。
●夏の甲子園2019年出場校一覧